リンクをクリックして,ユーザー名とパスワードを入力してください.会員のみ閲覧できます.
日本健康福祉政策学会【日本健康福祉政策情報】

健康福祉政策情報No.50

トピックス
東日本大震災後の動き
須藤康宏
シリーズ 私にとっての震災
宮城県南三陸町への保健衛生支援活動に参加して
堀川俊一
東日本大震災,今思うこと
田沢光正
政策とは
健康福祉の「政策考現学」
目指すは住民の生活?
岩永俊博
理事会報告
 
副理事長に指名されて
テーマ別の「政策学習会」を
野山 修
新理事としての抱負
幅広く論議し学べる学会に
渡部英二
編集後記
 
第15回日本健康福祉政策学会学術大会しが大会
ワークショップ・壁新聞の公募について

トピックス

東日本大震災後の動き
大震災と原発事故のもとでの経験

須藤 康宏(福島県,相馬フォロアーチーム代表,臨床心理士)

 2011年3月11日午後2時46分,大地震が発生した.筆者は勤務先である小高赤坂病院(南相馬市)の精神科デイケアにてリハビリ・プログラムの最中だったが,ハンマーで殴られるような激しい揺れで,書棚が倒れガラスが飛び散った.過去に体験したことのない非常に長い本震であった.おさまったと同時に通所者をグラウンドへ避難させ,その後職員総出で,病棟から入院患者の大半を外へ誘導した.1時間半ほど経過しただろうか,余震が減ってきたことを確認し,院内の大ホールへ移動した.電気が生きていたため,室内ではテレビを視聴することができ,そこで初めて未曽有の津波の発生を知った.日頃うるさいぐらいに鳴っている市の防災無線は機能しなかった.幸い当院は山沿いにあったため,津波の被害は免れたが,当日日勤のスタッフはそのまま全員待機し,ホールに集めた患者らとともに一晩を明かした.度重なる余震で厨房(火気)が使えず,備蓄していたインスタント食品等で対処した.

続きを読む≫

健康福祉政策情報No.110

能登半島地震と障害のある人
増田 一世

健康福祉政策情報No.109

介護職不足と訪問介護報酬減額について
前沢 政次

健康福祉政策情報No.108

社会的処方の制度化について
尾﨑 米厚

健康福祉政策情報No.107

市民協働のためのわかりやすい問題提起を
塩飽 邦憲

健康福祉政策情報No.106

福島第一原発ALPS処理水の海洋放出とリスクコミュニケーション
野山 修

No.105 No.104 No.103

No.102 No.101 No.100

No.99 No.98 No.97

No.96 No.95 No.94 No.93

No.92 No.91 No.90 No.89

No.88 No.87 No.86 No.85

No.84 No.83 No.82 No.81

No.80 No.79 No.78 No.77

No.76 No.75 No.74 No.73

No.72 No.71 No.70 No.69

No.68 No.67 No.66 No.65

No.64 No.63 No.62 No.61

No.60 No.59 No.58 No.57

No.56 No.55 No.54 No.53

No.52 No.51 No.50 No.49

No.48 No.47 No.46 No.45

No.44 No.43 No.42 No.41

No.40 No.39 No.38 No.37

No.36 No.35 No.34 No.33

No.32~No.1

総目次(No.1~No.100)
発行順
カテゴリー順
著者順
Copyright©2013 日本健康福祉政策学会 このページの文章・写真などあらゆる内容の無断転載・複製を禁じます。